メニューへジャンプ 本文へジャンプ
本文の開始

創立90周年 Contact

伊勢屋歴史物語

業者の松室正次郎は、伊勢宇治山田の出身である。松室家の祖先は、伊勢神宮の内宮に仕えていた。
さらに家系を遡ると伊勢松坂城の藤堂家に仕えた御殿絵師だった人物も存在する。
その血を引いてか正次郎は、長男ながら洋画家を志して東京へ・・・
しかし生計の為看板屋に転じたのが大正10年。それが伊勢屋のはじまりであった。

その後、誠心誠意の仕事ぶりが小林一三翁の目にとまり、阪急電車をはじめ宝塚動植物園の仕事を一手に任されることとなった。
ちなみに屋号の『伊勢屋』は小林一三翁が名付け親である。
「松室は伊勢の出身やから、屋号は伊勢屋にせえ!」ということで決まった。

当時は宝塚歌劇の背景画や路線図、宝塚ホテル、六甲山ホテルの看板などが多く、原稿に使ったスケッチ画や写真が今でも大切に残されている。戦時中には宝塚でも動物達を生かしておく事が出来なかったのだが、動物園に動物がおらんのでは困ると言ってハリボテの象を作る様に命じられ、池田から宝塚まで荷車に積んで歩いて運んだというエピソードが今でも語り継がれている逸話である。

1921年
大正10年
創業当時の伊勢屋看板店
(現在の石橋商店街)

店の裏側に阪急電車の線路が見える。現在の石橋商店街も当時はアーケード等は無く建物も疎らだった様子。
雨が降ると線路側から水が流れ込み事務所の1階はいつも水浸しになっていた。その為か屋上が看板資材の置き場所となっていた。

1926年頃
昭和元年頃
伊勢屋看板店と家屋
店の庇についた立体的な白馬の看板がよく目につく。
店の横には2階建ての母屋が出来ている。
向って右から2番目が創業者松室正次郎。この頃の職人さんは法被に地下足袋スタイルが定番だ。


箕面の滝にて
今でいう遠足の様なものだ。現在でも6月10日の創立記念日には日帰りの「遠足」をおこなっている。当時を偲び箕面の滝まで歩いたこともある。写真向って右から2番目が創業者松室正次郎。


『箕面住宅経営地』宣伝看板施工


宝塚女子青年会館
(現在の宝塚音楽学校)



宝塚歌劇団


『近代機械化兵器野外大展示観』宣伝看板

昭和8年
現在の天皇陛下誕生祝賀会 花車と芸者衆
祝賀会の花車を作り会社の前で宴会をしている様子。今でもお花見や夏祭りなど何かある度に社内の敷地で宴会がおこなわれ、伊勢屋の伝統として引継がれている。

1934年
昭和9年
宝塚歌劇学校
昭和9年宝塚歌劇学校大運動会ページェント背景施工
(現在の宝塚歌劇団)


市立北豊島小学校にて大相撲地方巡業
中央力士が 第34代横綱 男女ノ川(みなのがわ)
前列向って右から松室正次郎、池田市助役 中田正道
北豊島小学校校長 荒木正三郎(後の参議院議員)


TAKARAZUKA KAIKAN
宝塚南口にあった、当時大人気のダンスホール


阪急乗合自動車
(現在の阪急バス)

伊勢屋看板店の横がバスの停留所になっていた。


TEA-ROOM HOME-RUN を開店
伊勢屋看板店の1階に喫茶店を開業。
 (現在の石橋商店街タローパン前)


大阪塗工組合のメンバーと住吉神社にて
大阪塗工組合のメンバーと住吉神社にて
(現在の大阪府塗装工業協同組合)
向って左端が松室正次郎。

1937年頃
昭和12年頃
阪急西宮球場
(現在の阪急西宮ガーデンズ)



六甲山ホテル新築工事



ページトップ
ページの終了